明治34年、尼崎藩主に外科医として仕えた和田信景の孫である和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に開窯しました。兵庫県庁勤務時代に淡路島に陶器学校を建設しようとしたほどの陶芸好きで、県庁を辞めて陶芸一筋の道を歩みました。明治43年、その二男である正兄(マサエ)が尼崎市東桜木町に移窯しました。兵庫県武庫群精道村に御庭焼の築窯にも正兄が関わり、これが打出焼の発祥となりました。その昔、藤原道真が船から見えるこの美しさに感動して立ち寄り、{ここは殊のほかのよき浦なり}{松は琴柱の並びたるが如し}と賛美したのが琴の浦の地名の由来です。天正10年、本能寺の変を聞き、毛利攻めから駆けつけた羽柴秀吉{後の豊臣秀吉}が明智光秀の伏兵を逃れるために身を隠したと言い伝えが残る広徳寺が近くにあります。九十朗正隆が、豊臣家の家紋である桐にちなみ陶号を桐山、琴の浦の地名から窯名を琴浦窯と称しました。

明治34年、尼崎藩主に外科医として仕えた和田信景の孫である和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に開窯しました。兵庫県庁勤務時代に淡路島に陶器学校を建設しようとしたほどの陶芸好きで、県庁を辞めて陶芸一筋の道を歩みました。明治43年、その二男である正兄(マサエ)が尼崎市東桜木町に移窯しました。兵庫県武庫群精道村に御庭焼の築窯にも正兄が関わり、これが打出焼の発祥となりました。その昔、藤原道真が船から見えるこの美しさに感動して立ち寄り、{ここは殊のほかのよき浦なり}{松は琴柱の並びたるが如し}と賛美したのが琴の浦の地名の由来です。天正10年、本能寺の変を聞き、毛利攻めから駆けつけた羽柴秀吉{後の豊臣秀吉}が明智光秀の伏兵を逃れるために身を隠したと言い伝えが残る広徳寺が近くにあります。九十朗正隆が、豊臣家の家紋である桐にちなみ陶号を桐山、琴の浦の地名から窯名を琴浦窯と称しました。

陶器ご使用にあたって 初めてご使用になる前に、水に入れて一度煮立てるか、またはぬるま湯に20分ほど浸してください。窯から出した陶器はとても乾燥しておりますので、最初にある程度の水分を吸収いたします。従ってそのままお使いいただきますと、高台のふち等から水が滴り落ちることがあります。(専門的には、水が「しもる」といいます)なお、あらかじめ生地に水分を充分含ませてからご使用いただくと汚れ、シミ等もつきにくくなります。
琴浦窯
 住所:〒660-0864
    兵庫県尼崎市東桜木町17番地
 電話・FAX:06-6411-2016
 交通:阪神尼崎駅より 南西(寺町)方向へ徒歩5分
ご案内 琴浦窯では色絵生地による短期絵付け企画を行っています。こちらで用意した下絵を施した生地に絵の具を付ける作業をしていただきます。下絵は時期のものから無期のものまで豊富です。希望の方にはオリジナルにもお応えします。
取り扱い店舗
社会貢献<環境や地球温暖化防止、ボランティア、チャリティーへの取組み>
琴浦窯では毎年 新聞社各社へのチャリティー作品の提供を行うと共に、様々な分野、団体等への寄付及び協力を行っております。
 (注)当方が選定したところへのみの活動です、協力の依頼等にはお答えできない場合があります。



◎琴浦窯では全国学校茶道を応援します。作品寄贈ご希望の学校はメールにてお問合せ下さい。